まるごと八代!
建武元年(1344)に名和義高(なわよしたか)が八代荘の地頭に任じられ、翌年には代官として一族の内河義真(うちかわよしざね)が下向し、南北朝の争乱に備えて築…
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(手打ち刃物)盛高家は、寛永10(1633)年、細川三斎公に従い、八代妙見神宮の御用鍛冶としてこの地に移住。妙見宮門前町鍛冶座の司となり、刃物と刀剣を作…
八代宮はもともと八代城として築城された。その後、明治3年(1870)に八代城が廃城になると、地域住民の熱心な要望により、明治17年(1884)に八代宮になった。八…
緑が印象的な八代城跡の一角に建つ博物館。その名にふさわしく、周囲の自然にとけ込む斬新な外観と、光のシャワーを浴びるエントランスホールが魅力的。展示…
加藤正方が、元和8年(1622)に築いた城で、城の石垣には石灰岩が用いられ、その色から白鷺城とも呼ばれた。寛永9年(1632)細川忠興が入城、さらに正保3年(1646)…
麦島城は天正16年(1588)、宇土・益城・八代・天草の領主となったキリシタン大名の小西行長(こにしゆきなが)が名和氏・相良氏時代の古麓城(ふるふもとじょう…
球磨川の河口の堤防から約50m離れた場所にある小さな島。万葉集に「奇蹟の島・水島」と歌われており、貴重な万葉史跡として知られています。その昔、この地…
八代神社は妙見宮ともよばれ、上宮、中宮、下宮の三社からなり、現在の場所は下宮にあたる。延暦14年(795年)桓武天皇の勅願によって上宮が創建されて以来、…
懐良親王(かねながしんのう)1329~1383後醍醐天皇の十六皇子で、南朝の征西将軍宮として康永元年(1342)薩摩に上陸、南朝方の菊池、阿蘇氏らの助けによ…
元禄元(1688)年、八代城主松井直之が母崇芳院尼のために建造。また、玄関は唐破風・浜床の造りです。庭園内に赤女ヶ池・赤女ヶ森をそのまま取り入れ、背景…
げんぺいつむぎとは、敵同士であった小太郎(源氏)と鬼山御前(平家)が五家荘で出会い、結ばれたと言う伝説にあやかり、五家荘平家の里施設内にて販売して…
平家落人伝説を今に伝えるテーマ施設で豊かな自然に囲まれた園内には、展示品や映像、人形パビリオンなどで平家の歴史を紹介している「平家伝説館」や神楽や…